| 三つ子の魂百までも
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「最初に乗ったのは父親の乗っていたフォードです。コラムシフトの1953年型かなんかだったですね。免許も無いのに“立って”運転するとできるんですよ。シートの端っこでハンドルにしがみついて。田舎だったものですから、田んぼに稲を刈った藁束が積んであるんです。そこへ突っ込めば事故にならない。当時のアメ車はバンパーがしっかりしていたし。そんなことをいつもしていました。ですから私の車好きっていうのは父親譲りです。フォードはみんな乗りました。フェアレーン、ギャラクシー500、サンダーバードとか。シボレーもインパラに乗りました。
若かったんですねえ、そのうち俳優になりたくて東京に行きました。まだ日野ルノーの走っていた頃です。東宝芸能学校に通いました。ところが病気になって芝居を諦め、帰ってきたんです。それからですね、車に取り憑かれちゃったのは。今度は最初がヒルマン(ミンクス)、次がオースティン(A50)、その後がシンガー(ギャゼル)でした。懐かしいでしょう?フィアットの1800にも乗りました。その頃です、マツダのルーチェが出たのは。当時アルミのエンジンなんて珍しかったですから。なんでも欲しかったんですね。たとえご飯が食べられなくても欲しかった。名古屋に鍋田干拓地という走り屋の溜まり場みたいな所があるんです。ちょうどスリ鉢状になっていて思い切りギアを入れるとなんとか登るんですが、失敗して落っこっちゃった。まだ250kmくらいしか走っていなかったピカピカのルーチェなのに。その車は父親のアルバイトをして買いました。あそこ(ピット2階)のリフトに乗っているのがそうなんですが、1959年メルセデス220S。往診の時に運転手をするんです。エアコンも効いてるし、お金のためなら仕方ないと思ってやりました。でも本当は好きな車に乗りたい。あの当時はとにかくフィアットが欲しかった。1800の後は850や500、128にも乗りました。その頃何をやっていたかというと、芸能学校で教えてもらったお陰でシャンソンなんかが歌えるものですからバンドを集めてホテルを回っていました。128の後はしばらくシャレードに狂っていました。シビックやアコードにも乗りましたけどああいうスムーズなエンジン、嫌いなんです。その点シャレード歯は3気筒ですから。はじめは例の“5平米カー”に乗って、次は“丸窓”のクーペ。サファリでクラス優勝した“926ターボ”に到っては2台も。そのうちの1台は今も2階のガレージに取ってあります。
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| アルファとの出逢い
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「きっかけは兄がアルファを持っていたからです。兄は医学部を出たくせに家業も継がないで雑誌“ステレオサウンド”を創り、東京に住んでいたのですが、そもそも彼がイタ車党になったのは私が一度フィアットを、850だったか500だったかを貸したからです。そしたらいきなり1969年か70年の1750(GTV)を買ったんです、兄が。しかも名古屋で私の知り合いから。シメタと思いましたね。何がって、名古屋から東京まで陸送するでしょう?それを引き受けて思いっきり乗るんです。真っ直ぐ行っちゃ損だから、メーター外すんです。タコメーターだけあればOKなんだから。で、名古屋から北陸に出まして国道8号線から19号、20号と大回りするんです。ついでに箱根もたっぷり愉しんでから兄のいた東京の国立まで届けたんです。そんなことが1750と2000と2台続きました。3台目はアルフェッタ。出てすぐの頃だから1973年か74年です。その間、点検だ整備だと言っては取りに行ってました。とにかくアルファというのは、私はどうしても“ロメオ”と言ってしまうんですけど、音が堪りませんね。シフトダウンした時の、クゥーン!っていうのが・・・アッ!4速か、ダメだ。3速に落とす。するとまた、クゥーン!それをやりたいだけの話なんですよ」
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